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【 共生のためのオブジェ 】
Text by 近藤 亮介(美術批評家)
ぎざぎざした鋭利でラギッドな金属の「物体(オブジェ)」。使い古され、スクラップにされたような東亨の作品は、私たちが日常で見かけては不問に付している都市の漂流物の変形である。東は、河原や公園、ガレージといった場所で偶然見つけた銅板・ブリキ・ドラム缶・石・切り株など――いわゆる「ファウンド・オブジェ」――を素材および道具に見立て、即興的に「てっかり」をつくり出す。
◆ 《 露天商の公共性 》
東が自身の作品を呼ぶときに用いる「てっかり」は、てかてかと光り輝く様子を表す擬態語から転じて「電灯」や「金物」を意味する露天商の隠語である。
露天商は、社会から逸脱した存在として蔑視される一方で、もともと公的な性格を帯びていた。彼らはかつて寺社境内で開かれる祭礼・縁日に欠かせない存在だった。威勢のいい口上で庶民を非日常の場へ誘い、ときに粗悪品を売りつけながらも、稼ぎの一部を寺社普請(ふしん)――地域住民が労働力や資金を出し合って行う修繕・土木工事――に用立てた。現代のイメージとは異なり、露天商は地域共同体の維持に貢献していた。
また、江戸時代、鍋釜をはじめ金物は高価だったため、傷んだら修理して使い続けるのが一般的だった。その修理を専門的に行ったのが、露天商の一種、鋳掛け屋(いかけや)である。彼らは天秤に作業道具一式を携え、依頼を受けたら軒先で火を起こして、金物の穴を塞いだり、破損部を溶接したりした。鋳掛け屋は、循環型社会の先駆的な担い手だった。つまり、東が打ち捨てられた金属を素材として選んだとき、既に彼には公共への意識が芽生えていたはずだ。
◆ 《 生態系の無機物 》
そのような意識は、東のもう一つの仕事、すなわち社会福祉を通じて確信へと変わる。障がい者の表現活動支援に携わる東は、障がい者の目線に立って動くうちに「他者」を受け入れることが自然になったという。自分ではない他者から発せられるシグナルを見極め、一つのかたちへ具体化させるプロセスは、制作において物質と向き合うときと本質的に同じである。したがって、東にとっての「他者」は、社会を構成する人間に限定されるものでは決してなく、「環世界(ウンヴェルト)」を持つあらゆる生物、さらには生命を持たない無機物まで広範囲にわたる。なるほど生態系と聞くと、私たちは生物を想像しがちだが、実際そこには無機的な環境要因も含まれている。東が異なる存在のあいだを自在に往き来しながら、同じ場所に居合わせた複数のモノ――生物か無生物かを問わず――の相互作用を誘発することで、「てっかり」は生まれる。そこに映し出されるのは、万物が相補的に存在する生態系であり、公共の先にある共生に他ならない。
東の手によって、産業社会の負の遺産として忌避されてきた「ドロス(不純物・残留物)」は、人間(都市)が事物(自然)との新たな関係を模索するための場=「てっかり」へポジティブに転換される。例えば、草花の生けられた「てっかり」を見てみよう。武骨な鉄の塊から頼りなく枝葉をもたげる草花は、今にも押し潰されそうなくらい華奢だが、不思議と生命力が漲っている。脱工業化の進む現代において、原形を留めないほど歪んで錆び付いた金属は、人間に反省を促す一方で、アスファルトから芽を出す雑草のように草花のしなやかな強さを引き立てる。ただし、花を生けるのは東ではない。東は、使う者が「事物の世界」を主体的に感覚できる装置を慎ましく差し出しているにすぎない。
要するに東の実践は、外からの意思や力で構築することではなく、物質の内側から自然に生成するかたちを呼び覚ますことに向けられている。東が工芸を「工夫の芸術」と呼び、「つくる」よりも「成る」という言葉を好むのは、そのためだ。庭に石を立てるように、路上に転がっているモノの声に耳を澄まし、その佇まいを整える行為こそ、東にとっての制作だといえるだろう。東の「物体(オブジェ)」は、無機物であるにも関わらず、いやそれ故に、知識や主観といった人間的なものを超えて共生している世界を、私たちに強く直観させるのだ。